これは、決して誇らしいことではないのかもしれない。
胸を張って言うことではないのかもしれない。
しかし、私は戦ったのだ。10年間、一人で戦ったのだ。
その証をここに刻もうと思う―――。
きっかけ
ことの始まりは、10年前。
1通のメールが、ろじぱら読者から送られてきた。
汁男優をやっている者です。
震災を契機に、自分の人生を見直すべく、所蔵しているエロDVDを処分しようと思っています。
つきましてはワタナベさん、このエロDVD、いりませんか?
圧倒的な情報過多である。
「何があった」「どうしてそうなった」「何故私に声をかけた」など湯水のように疑問が湧き上がったが、私は冷静に、何食わぬ顔で言ってやったね。
「ください!!!!!!!!」
かくして住所のやり取りを経て、郵送で届きました、エロDVD。
抜 身 の D V D が、
隙 間 な く み っ ち り 詰 ま っ た
重 す ぎ る み か ん 箱 が 到 着
そ れ が 数 箱 。
多い!!さすがに多すぎる!!
裏ビデオ業者だってこんなに持ってない!!
しかし、「DVDが欲しい」と言ったのは私である。これはすべて私の責任。
しかも送ってくれた読者(汁男優)は、自らの人生を変えるべく、これを私に託したのだ。
きっと葛藤もあっただろう。自らの青春を思い出し、泣きながらDVDを詰めたのかもしれない。
ぞんざいに扱っていいわけがない!
これは、供養だ。
このDVDは、きっちり供養しなければならない。
内容を見ずに、ジャケットだけで判断して捨てるなど、あってはならない!
すべてを見てやる!見てから処分してやる!!!!!
「エロDVD数千枚をすべて見る」
ここに、誰にも頼らない、俺だけの戦いが始まったのである………
俺の戦い
かくして戦端は開かれた。
みかん箱からDVDの束を鷲掴みにし、一枚ずつDVDトレイに差し込み、内容を確認していく。
孤独な戦いである。
そして、エロDVDを見るためには、ある程度の「テンション」も必要である。
内容がマッチして、バニって(バーニング)しまった場合、その日の戦いはそこで終わり。
賢者タイムに見るエロDVDほど、苦痛なものはない。
ましてや、エロい気分じゃないのにエロDVDを見るなど、ただの作業である。
それではこのDVDに込められた想いは昇華されないだろう。
あくまでエロい気持ちで、エロDVDを見る。これこそが供養であり、礼儀である。
日々、少しずつ、DVDを見ていく。
数回行った引っ越しにも、謎の激重みかん箱はついてまわり、引越し業者の腰を痛めていった。
少しずつ、少しずつ。
数年かけて、みかん箱1箱目をクリアし、2箱目に。
少しずつ、少しずつ。
世間が移ろい、女性のメイクも変化し、出演女優の顔に「時代」を感じるようになった。
そんな日々を送り、10年後。
2021年の11月。
ついに、最後のみかん箱の、最後のDVDを見終えたのである。
戦いは終わった。
この奮戦は、誰にも褒められないし、誰からも讃えられない。
歴史に残ることもないし、証拠の写真もない。
お金も貰えない。意味などなかったのかもしれない。
だが、俺はやり遂げたのだ!
10年という歳月をかけて、俺は、この戦場を駆け抜けたのだ!
他人から褒められないのが何だ、俺は自分で自分を褒めてやる!認めてやる!
貴様は!!!!!!よく戦った!!!!!!!!!!
10年前にエロDVDを送ってくれた○○○さん、お元気ですか。
私はあなたの想いに応えられたでしょうか。
本当に、本当に、ありがとうございました―――――。
(最後のDVDは、堤さやかでした)