先の構成技術で分析することで、過去・現在においてネット上で起こった現象を分析してみましょう。今回取り上げるのは3つです。
1.なぜ侍魂系フォント弄りサイトは衰退したのか?
1.なぜ侍魂系フォント弄りサイトは衰退したのか? 一年ほど前、人気サイト「侍魂」の手法を模倣した「侍魂系フォント弄りサイト」が大発生し、Web上で話題となりました。しかし現在、ほとんどのサイトは淘汰されました。なぜこのような現象が起こったのでしょうか? 「侍魂系フォント弄り」とは、黒背景・文章センタリング・フォント拡大&色付けの3つを柱とした加工技術です。
この加工技術は見た目のインパクトがあり、かつ習得・実現するのが容易であったため、あっという間に普及しました。この加工技術を使うサイトは、おもに自分の日常生活(日記)に侍魂系加工をほどこしサイトにアップしていました。第1段階の【発想】【収集】はあまり重視されず、第2段階の【加工】が重視されたわけです。 ところが、どのサイトも元ネタは日記、加工は【侍魂系加工】だったため、閲覧者にとって出来上がるコンテンツがすべて同じに見えてしまいました。 このため閲覧者は飽きてしまい、またインパクトの強さが悪目にでて「背景が黒文字でセンタリングだと、アクセスした瞬間ブラウザを閉じてしまう」という事象を引き起こしてしまいました。その外の要因も重なり合い、結果として侍魂系フォント弄りサイトは衰退したと考えられます。
2.アクセス至上主義はなぜ嫌われたのか? 自サイトのアクセス数を上げることを命題とした「アクセス至上主義」という考えがありました。大手サイトになるために「2chへの書き込み」「ネットバトルをする」などのテクニックも紹介していたようですが、閲覧者や他サイトの共感を得られず嫌われました。なぜでしょうか? アクセスアップとは、第3段階の【配信】する力を強くすることです。ここで注目していただきたいのは、アクセスとは閲覧者がコンテンツを見る回数である、ということです。
つまり、サイトのアクセス数とは管理者ではなく閲覧者に依存します。そのサイトが大手かどうかは閲覧者によって決まることなのです。従って、「俺は大手サイトになる!」という言い方は厳密には間違いです。「俺を大手サイトにしてくださいお願いします」と閲覧者に頼むべきことなのです。 アクセス至上主義者の問題は、配信における矢印の向きを逆に捉えていたことです。いいコンテンツは閲覧者を引き寄せ、結果アクセス数はアップします。ですが「どんなにいいコンテンツを作っても、宣伝しなければ見てもらえない」と思い込み、宣伝活動に勤しんでしまったのです。
閲覧者の基本的な性質として、自分から見に行くコンテンツには好印象をもちますが、強制的に見せられたコンテンツには不快感を覚えます。磁石は好かれますが、スピーカーは嫌われるのです。アクセス至上主義者はスピーカーとなるための技術を「アクセスアップ技術」として公開し、他サイトを巻き込んでそれを実行したため急速に嫌われていきました。また宣伝に夢中になるあまり、コンテンツの充実へ注力しなかったことも衰退した要因の1つと考えられます。
3.過去と現在のサイト管理者の違いは? これもよく語られることですが、個人サイトは昔に比べ「何か」が変わりました。俗に言う「侍魂前」「侍魂後」のサイトの違いです。この二つの違いは、「サイトを運営する喜びを見出す場所の違い」だと思います。 かつて自分の文章を公に見てもらうためには、才能を出版社に認められるか自費出版するか、ぐらいしか手段がありませんでした。ところがインターネットの普及により、ちょっとしたタグの知識とプロバイダ代さえ払えば、どのような人でも自分の作品を全世界に配信することができるようになりました。初期の個人サイト管理人はその喜びに打ち震え、自らの創作欲を惜しむことなくネットへと費やしたのです。 昔のサイトは、インターネットを作品公開の場と捉え、コンテンツを作るまでのプロセスを楽しんでいました。【発想】【収集】【加工】の作業こそがサイト運営の楽しみだったのです。逆に【配信】に対する情熱はそれほどありませんでした。理由として、 (1)個人サイトの黎明期のため閲覧者全体の数が少なかった。 などの理由があると思います。
ところが現在。インターネットに「人と人とが交流する場所」という、新しい価値が見出されました。個人で情報を発信できるインターネットなど存在して当たり前となり、また個人サイトの増加により各種技術が成熟しはじめました。それに伴い、サイト管理人の喜びは【発想】【収集】【加工】だけではなく【配信】へも向けられたのです。(関連:2.アクセス至上主義はなぜ嫌われたのか?)コンテンツを作るよりも、コンテンツを見てもらう・宣伝するほうに喜びを感じる管理人が増えてきたのです。 彼らにとって【配信】こそがサイト運営の楽しみであり、コンテンツ製作のプロセスにはさほど興味を示しません。【発想】【収集】【加工】技術などは他サイトのを真似して使ってもよい(関連:1.なぜ侍魂系フォント弄りサイトは衰退したのか?)、酷いサイトになるとサイトデザインやコンテンツをそのままコピーすることも厭わない。(またそれに対する罪悪感も感じません。)サイトを見てもらうことこそが重要であり、コンテンツは無かろうがコピーだろうが構わないのです。近年公開されている「アクセス論」のほとんどが【配信】に関する記述であることからも判ると思います。他にも、【配信】を重視するサイトは、他のサイトに比べて以下のような性質があります。 (1)自サイトの宣伝を好む(他サイトの掲示板、2ch)
インターネットとは、コンテンツの集まりです。個々のサイト管理人が作ったコンテンツが幾重にも繋がり合って「インターネット」を形成しているのです。だからこそコンテンツに多様性があり面白い。コンテンツ製作の軽視・技法やコンテンツそのもののコピーを容認すると、個人サイト全体が画一化され面白みがなくなってしまいます。個人的な意見として、インターネットは多様なコンテンツが生まれる世界であってほしいと願っています。
以上で、現在のサイトの傾向が掴めたと思います。では、面白いサイトを作るにはどうすればいいのでしょうか?
|